2019年3月9日土曜日

2〜3月に読んだ本のメモ


 2月、3月に読んだ本、読みかけている本について、メモ用のツイッターアカウントに書いていたことのまとめ。
 
 トーマス・マン『トニオ・クレエゲル』
 身に沁みる話だった。構成としては少年期、作家として名声を得た後の女画家との対話、帰省を兼ねた旅行先での出来事の三つが大きな山だろうと思う。芸術家は芸術的に生きてはならないとか、明るく溌剌としたハンスやインゲと外れ者のクレエゲルを対照的な人間として描いている点など、そこかしこにニーチェの影響があるなあと思った。マンはニーチェを愛読していたらしい。
 自分と同質な人間からの承認がクレエゲルにとって喜ばしいものでなかったのはなぜだろう。彼はむしろ自分と対照的な、明るく溌剌として芸術など必要としないような人々からの評価や愛を欲した。それは究極的に自分の性質を肯定できていなかったからだろうか。
 クレエゲルが苦しんだのは、自分が愛するより常に少ない愛しか対象から与えられなかったことであり、彼の愛する者が彼が愛するようには彼を愛さなかった理由は、彼の性質が相手のそれと異なっていたことだ。「最も多く愛する者は、常に敗者であり、常に悩まねばならぬ」。敗者である(愛する相手とは違う性質の人間である)者は必然的に、与えられるよりも多くの愛を相手に注ぎ、その愛の不均衡に悩むことになる。
 どうにかならないものだろうか。人間を快活・陰気、明るい・暗いなどと単純に二分してしまいたくなる気持ちはわかるし、後者の項に属する人間が自分を敗者と考えてしまうのもよくわかる。けれども人間は一人一人が違った存在であることを思えば、自分の性質が相手と違っていることは必ずしも敗者という自己認識に直結しないし、愛の量なんていつでも不均衡だろう。自分が相手と違っているということをなんとかポジティブに捉えることができれば、そして愛の均衡という幻想を捨て去れば、この悩みは解消されるのかもしれない。とはいえそれが解消すべきものなのかどうかもわからないし、もしかすると一生付き合っていくべき悩みなのかもしれない。解消できるものだとしても、現実にそれを行うことはとても難しい。