2024年10月22日火曜日

近況

 2ヶ月ほど頭がおかしくなっていた。今週に入ってやっと人間に戻れたような気分でいる。タイピングがとてもへたになってしまった。キーボードを変えたせいだと思っていたけれど、変な力の入り方が数ヶ月経っても直らない。9月末、DIC川村記念美術館へ行った。東京駅から快速で1時間、そこから送迎バスで20分かけて行く。企画展がとても好みだった。アクリル板の色を重ねて作られた新しい色、両側の壁面がほとんど窓である展示室で光を透過する、ひとかかえもあるガラスのホオズキ、グレーの一色で描かれているのに水辺の青や木々の緑が浮かび上がるようにわかる絵。この絵を直接見たとき吸い込まれるように感じた昏い生気が図録の写真からはまったく抜け落ちていて、写真に撮られると魂を抜かれるとはある意味で(撮られた写真の側からみれば)本当かもしれないと落胆した。ラビリンス断片、と題された展示は四角い部屋を低い白壁で9つの正方形に区切った一筆書きのような順路で、各々の正方形のなか、あるいは周囲の壁の上に作品が置かれている。一周してから目録を見たとき、何番目の作品がどの正方形のどちら側にあったかをあらかた正確に思い出すことができたのは、四角い順路が空間記憶術のような役割を果たしていたのかもしれないと思う。どの正方形の、どの壁の、どちら側から、どの作品を視界の中心に据えるかによって、移動する視点にしたがって他の作品がいつも違った方角に映り込む。こういう鑑賞体験は初めてだった。広くはない館内を行ったり来たりして、ロスコルームも2回訪れた。燃えているビロードの扉に囲まれたようだった。マーク・ロスコについて何も知らないけれど、ミュージアムショップで売られていたロスコの大判カレンダーを買って部屋に飾るような人間はこの絵の意志に反しているのではないかとぼんやり考える。帰りのバス待ちで隣に座ったハイソな雰囲気の中年婦人がカレンダーを手にしていて、同じことを再び思う。10月、Plastic Treeのライブを京都で観るついでに芦屋に一泊することにした。山と海に挟まれた南北に細長い街。せっかくなので芦屋市立美術博物館へ行き、60年代から活動する前衛美術家の企画展と、博物館エリアで阪神淡路大震災当時の写真を見る。京都へ移動し、学生時代にも乗ったことがなかった叡山電車に乗る。ライブは気を失いそうに楽しくて、2週間たった今、ほとんど思い出せることがない。スピカを歌う有村さんの声が胸に迫って、この人の歌から逃れられないと思った。何度聴いてもあざやかな胸の痛み。最近は読書会に参加させてもらい、本について人と話すことが増えた。人と共有できる本と、共有できない本のことを思う。結局のところ本と私の二人きりの会話であるような読書にいちばん馴染みがある。ときどき思い出したように本を介して人と交流を持つのは楽しい。棲み慣れた山から下りてきたばかりの獣の気持ちがする。慚愧が仏教語であることを知る。おかえり、正常な私。正常であると私が信じている私。