気づけば仕事のプロジェクトを異動して半年経っていた。半年の間にずいぶん健康になった。
一昨年の転職直後にいたところに去年12月からまた戻ることができて、そこでは驚くくらい言葉が通じ、言葉が通じることに驚きを感じなくてはならないほど去年の自分が異常な状態であったことがわかり、平静に仕事をする精神が少しずつ戻ってきた。
目下の悩みは直属の先輩が不足事項の指摘はするのに充足している部分をなかなか褒めてくれないことで、1年前は上長と会話が成り立たないことを嘆いていたことを思えば、贅沢な悩みを持てるようになったものだと思う。
先月28歳になった。何も感慨はなく、仕事は忙しく、体調も終わっていて、何もいいことのない誕生日だったけれど、まあ生きているだけで十分かと思う。この自分でこれからも生きていくのだという覚悟というか観念というか、前向きな諦めのようなものをようやく手に入れられたのかもしれない。20代の出口が見えてきた今、初めてきちんと現実の地面を踏みしめることができている気がする。猫を迎えたこともその一因かもしれない。
4月の末に猫を迎えた。生後半年の女の子で、名前はミリちゃん。私の愛する児童文学である『黒ねこサンゴロウ』シリーズに出てくる、人間の女の子の名前からつけた。物語の中のミリは、両親の離婚後、酒飲みの作家の父親と暮らしていて、異常に勘が良く、頭は良いけれど小学校ではとにかく浮いている。漢字の「木」を、地面から幹が生え、幹から枝が生えるような順番で書く女の子だ。ねこのミリちゃんは、譲渡会で譲り受けてから2週間は指一本触れさせてくれず、大きな瞳にきらきらと好奇心を湛えて私の一挙手一投足を警戒していた。毎日パンチを受けて、この子とずっと距離が縮まらなかったらどうしようと泣けてきたこともあったけれど、3週間目で少し心を開いてくれるようになり、今は撫でてもいいサインを私が見逃さなければ、気持ちよさそうに目を細めるようにまでなった。最初から人に馴れている猫を選ばなかったのは、そういう猫は私のところでなくても幸せになれるだろうと思ったからかもしれない。猫の名前を考えていてミリのことを思い出したのは予想外だったけれど、とてもしっくりくる名前だと今は思う。
ミリちゃんが来てから、生活も仕事も、自分のためだけにするものではなくなった。私が必要としていたのはそういう存在だったのだとわかった。去年の夏、このままでは仕事に殺される、猫を飼うしかないと決意してから、物件を探し、引っ越して、猫のためのものを揃え、譲渡会に足を運んで、自分の行動によって今の生活を手に入れられたことが本当に嬉しい。ミリちゃんは少し体調が不安定で、譲渡から今までずっとうっすら風邪を引いていて、いつもと違うご飯を混ぜるとどんなに少量でも警戒して食べない。心配して1ヶ月で病院を3軒まわった。自分以外の存在を心配できるのは、満たされることだ。