昔父親が毎年買ってきていた芥川賞受賞作品掲載号の文藝春秋を、目次から広告まで舐めるように、活字を消費するように読むのが好きだった。夏の湿っぽくひんやりした畳の感触と、電気をつけずに障子を透して日光が差し込む緑がかった和室の空気を思い出す。
好きだったというよりも、今になって懐かしく思い出すという感じだ。当時の私にとっては、他にやることもないので仕方なく過ごしている日常の一部に過ぎなかった。
何年か後になったら今の生活も、こんなふうに色付けされた思い出に変わるのだろうか。喉元過ぎれば熱さを忘れ、本当につらかったことでも数年経てば甘美な思い出に変色してしまう私の頭は、呪わしいのか喜ばしいのかわからない。
たとえば「母校が好きだ」と言う時の私は、不純な思い出に支配されている。
「母校は好きではなかった」と言える人は、過ぎ去った辛さの新鮮味を失わずに持ち続けている。
努めて本当のことを言うならば、在学中は母校を好きでも嫌いでもなかった。おそらく。授業はこなすものだった。テストの点にそこまで関心は払わなかった。好きな教師も嫌いな教師もいたけれど、どうでもいい人が大半だった。クラスメイトも同じ。部活は辛いけれど唯一の居場所だった。
それくらい。
それくらいの、可も不可もない生活は、思い出フィルターを通せば簡単に「好き」に変換されてしまう。ざらついた生の感情が失われて、変にすべすべした他人事みたいになってしまう。
青山七恵のあの小説、なんという題名だったっけね。
2017年2月21日火曜日
2017年2月5日日曜日
東京バラード、それから
うつくしい音楽に出会ったときは、私がいかに打ちのめされたかを言葉にして綴ることができる。言葉と音楽とは違う次元に属するので、思慮も何もあったものではない文章を安心して書き連ねることができる。
小説もそれが許される。たかが数行の感想文で汚されるものではないと確信できるので。
詩はそれが許されない。という気がする。どんなに短く奔放でも詩は詩として成り立ってしまうので。すばらしく美しく残酷に言葉をひらめかす詩に出会ってしまったとき、私は下手に感想を表出することができなくて硬直する。吸ったばかりの神聖な空気に不純物を混じらせて濁った息を吐き出すよりは、そのまま呼吸を止めてしまいたいような気がして。
という、ここまでの文章が感想です。谷川俊太郎すげえなあ。
小説もそれが許される。たかが数行の感想文で汚されるものではないと確信できるので。
詩はそれが許されない。という気がする。どんなに短く奔放でも詩は詩として成り立ってしまうので。すばらしく美しく残酷に言葉をひらめかす詩に出会ってしまったとき、私は下手に感想を表出することができなくて硬直する。吸ったばかりの神聖な空気に不純物を混じらせて濁った息を吐き出すよりは、そのまま呼吸を止めてしまいたいような気がして。
という、ここまでの文章が感想です。谷川俊太郎すげえなあ。
2017年2月2日木曜日
フラニーとズーイ
フラニーとズーイを読み終わる。予想以上に宗教的な話だった。そして生きることについて。観念的ではなくて具体的に生活をするということについて。
つまり、周囲の人間がどれほど愚かしく見えたとしても、それを罵倒したり嘆いたりしながら自分だけは理想的な世界に逃避しようとするのではなく、自分自身とキリストだけのために完璧な演技(生きること)をしろ、ということなのか。確かに全てが相対化されようとする最近の社会では、こういった絶対的な信念が拠り所になると思う。
フラニーとズーイは並外れた知能と特殊な教育のおかげで、全ての他人に対して懐疑的にいちゃもんをつけずにはいられないという憂鬱を手にしてしまった。賢いが故の苦悩ということか。こういう話が読み継がれるのは、読んだ人が自分も高等な知能を有しているような錯覚に浸れるからということもあるんだろうか。
しかし。宗教を持たない、持ったとしても唯一の神を持たない日本人であるわたしはこの話のキリストをどう読み替えればいいのだろう。
何にせよ、何かを信奉するにしても理想化した何かじゃなくてありのままの対象を見ろよ、というのはとても響く。
つまり、周囲の人間がどれほど愚かしく見えたとしても、それを罵倒したり嘆いたりしながら自分だけは理想的な世界に逃避しようとするのではなく、自分自身とキリストだけのために完璧な演技(生きること)をしろ、ということなのか。確かに全てが相対化されようとする最近の社会では、こういった絶対的な信念が拠り所になると思う。
フラニーとズーイは並外れた知能と特殊な教育のおかげで、全ての他人に対して懐疑的にいちゃもんをつけずにはいられないという憂鬱を手にしてしまった。賢いが故の苦悩ということか。こういう話が読み継がれるのは、読んだ人が自分も高等な知能を有しているような錯覚に浸れるからということもあるんだろうか。
しかし。宗教を持たない、持ったとしても唯一の神を持たない日本人であるわたしはこの話のキリストをどう読み替えればいいのだろう。
何にせよ、何かを信奉するにしても理想化した何かじゃなくてありのままの対象を見ろよ、というのはとても響く。
2017年1月29日日曜日
yume
1/23
女の子に腕を取られ「このまま一人同士だったらずっと一緒にいようね」なんて言われる夢を見た。
暗い密室で暗号を解いたとたんそれが合図となってがらがらと天井が崩れ、それが静まった後で瓦礫の隙間からこぼれる光に向かって二人歩きながら。
頷いたかどうか忘れた。
何の暗示なんだ。女の子って誰だ。
女の子に腕を取られ「このまま一人同士だったらずっと一緒にいようね」なんて言われる夢を見た。
暗い密室で暗号を解いたとたんそれが合図となってがらがらと天井が崩れ、それが静まった後で瓦礫の隙間からこぼれる光に向かって二人歩きながら。
頷いたかどうか忘れた。
何の暗示なんだ。女の子って誰だ。
2017年1月19日木曜日
昔のそれこそ中2か中3位の頃のブログを発掘してみたらなんか本当に痛いくらい思春期していて胸が苦しくなってしまった。
あの頃は本当に学校と家が世界の全てで、その中でも部活が9割5分を占めていたね。
自分の能力のなさに死にたくなってでも本当に死にたいわけではなくてただ現状を変えられないもどかしさを綴った翌日の記事が、憎らしさと好意の入り混じった同輩への感情だったりした。
昔の自分が当時の気持ちを文章に残していなければ、こうして思い出すこともなかっただろう、でも死ぬほど大切な私の一部だ。
自分は本当に目に見えない速度で静かに静かに変わってしまったんだなと感じる。綺麗なものも汚いものも織り混ざった宝石みたいな過去を段々褪せていく思い出として再生するしかできないのは寂しい、けれど思い出せないのはもっと悲しい。鼻先をくすぐるプールの塩素の匂いみたいに、純粋さのほんの片鱗だけでもなくさないでいられますようにと願ってみる。
あの頃は本当に学校と家が世界の全てで、その中でも部活が9割5分を占めていたね。
自分の能力のなさに死にたくなってでも本当に死にたいわけではなくてただ現状を変えられないもどかしさを綴った翌日の記事が、憎らしさと好意の入り混じった同輩への感情だったりした。
昔の自分が当時の気持ちを文章に残していなければ、こうして思い出すこともなかっただろう、でも死ぬほど大切な私の一部だ。
自分は本当に目に見えない速度で静かに静かに変わってしまったんだなと感じる。綺麗なものも汚いものも織り混ざった宝石みたいな過去を段々褪せていく思い出として再生するしかできないのは寂しい、けれど思い出せないのはもっと悲しい。鼻先をくすぐるプールの塩素の匂いみたいに、純粋さのほんの片鱗だけでもなくさないでいられますようにと願ってみる。
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