2018年12月7日金曜日

かきこわし

おかしいのはわたしの方で、だってもう傷つきたがっている、傷つきが足りなくなっている。このあいだ処方してあげたばかりでしょう、医者は呆れ顔、そうだわたしは呆れられたい、呆れながらそれでもあなたを見放しはしませんよと言外の寛容さをのぞかせた顔をさせたい、でも誰に? 喉元過ぎれば熱さを忘れる要領で刃が上がればギロチンを忘れ、断たれた首は断面があんまり滑らかなのでぴったり元の位置に収まって、処刑の前日に誰かが刃を研ぎすぎたのだ、もっとぎざぎざ錆びついていればわたし死んだままでいられたのにね。わたしの血小板はことばでできているらしく、血が流れるやいなや血流にのって押し寄せてくる活字の群れが、破れた血管のうえに巧妙に網を張る、みたこともないようなあたらしいつなぎ目。すみずみまで探検するには時間がかかるからあんまりはやくなおりきってしまわないようにあらがってあらがって、そろそろ限界がくる、傷つきが足りない。

2018年12月6日木曜日

寝室

まだ生きているそれを殺すのどんな気持ちだった。わからない、どんどんわすれていくよ、時が経っていくからね。どんなふうに手をかけたの、どんな顔でみていたの、みるみる目減りしていく命を、そのときのあなたは今のあなたと同じ人? そのときのわたし、もうずっとずっと深い底へ沈んでしまったから、沈んでいくそれを追いかけて身を投げることもできたけれど、岸にたたずんでただ見ていたから、白くて長い衣の端が青緑の奥へと逃げていく優美な動きの残像しか残っていない、ほら、見えるでしょ。絵を描く暇なんてなかったよ、だってあんまりあっという間のことだったから、だけど言葉にはほんの少しだけ写しておいた、だってあんまり綺麗だったから。そう、あのときあの場所でなかったら生まれなかったはずの美しさだった、生まれたばかりで死んでいくものだけが放つ痛ましい輝きだった、まぶしい光を散らかしながら薄い破片が飛んできて、首筋に刺さって血が流れた。温かく零れる血もいずれ冷えて固まり、だけどわたしは、ぼくは、おれは、きみは、きっと性懲りもなくまたそれを信じるよ、信じていいよ、醜いままでそれは美しい、凍りつく冬の夜空のように透徹してきみを、抱きしめるよ。そして再び来たる満月の夜、上品にきらめく針の一突きが心臓に穴をあけ、糸を通して染め上げるよ、きみが楽しんだぶんだけ、苦しんだぶんだけ、その色は濃く深まって、するする通り抜ける糸を追って、重力の腕にすべてをゆだねる気もするする失せていく。その糸で何を織るの、何を織ってもいい、ただ自分のためだけに、自分のどこかを繕い塞ぐためだけに使わなくてはいけない、それがどこかって、もうわかっているでしょう、その作業が終わったときにはすべてが元通り、何も心配することなんてない。何も心配することなんてないよ、ほら夜明けの最初の光が、まだ見えないけれどあの山の裏側を温めて、もうすぐ乗り越えてこようとしている、もう部屋へ帰りなさい、扉は静かに閉めて、皆を起こさないように、それじゃ、ゆっくりおやすみ。

2018年12月2日日曜日

ここは心象と言葉遊びの庭に建てた城だから、書いていることは事実と必ずしも符合しないことをことわっておく。誰にも向けられずただ一人遊びのためだけに生み出される言葉は、伝えたり伝えられたりする言葉は、あと一押しで告げてしまう瀬戸際で踏みとどまっている言葉は、どれもそれぞれに楽しい。告げた言葉がつくる自分と告げなかった言葉がつくる自分。告げなかった言葉を積みあげてつくる城。祝福と呪いが一体となるまでに考えつめているひとのこと。ずっとずっといつまでも、海の底みたいに青く揺蕩う光の中で生きていてほしい。煩わしい現実から隔絶されて、静かに連綿と続く美を愛して、自分の秩序に適うものだけに囲まれていてほしい。いつかそこを出なくてはならなくなったときには灯を吹き消すことを選んでほしい。そして本当のすべてが始まる前に、夜明けの光が射し込む前に、呼吸を止めてしまえ。

2018年11月30日金曜日

11/30Fri

 学祭の出店で買った浅めのカップの使い勝手がおそろしく良い。軽くて手が疲れない。材質の特性なのか、熱を伝えにくい。電子レンジで温めても器本体や取っ手が熱くならないので、すぐに触ることができる。これが一番ポイントが高い。極めつけに、容量が丁度よい。ここ数日はココアに凝っていて、純ココアと砂糖を小さじ山盛り2杯、牛乳120mlをミルクパンで弱火にかけ、少し手間をかけて一杯分を淹れているのだけれど、この120mlがちょうどカップの8分目に相当する。あまりにぴったりで感動してしまう。実用性に加えクリーム色と青色の混ざったやわらかな色合いも可愛らしくて、文句のつけ所がない。市販の商品でもこんなに気に入るものに出会えることはあまりない。わたしが買った品の作者は他にも同じ型のカップをいくつか出品していたのだけれど(値段の横に名前が書いてあった)、もうひとつくらい買っておけばよかったと思ってしまう。
 少し調べてみると、陶器と磁器では磁器の方が熱伝導率が高く、熱しやすく冷めやすいようだ。反対に陶器は熱伝導率が低いので熱しにくく冷めにくい。ということはこのカップは陶器である。磁器に比べて陶器の熱伝導率が低いのは、緻密性が低く内部に空気が多く含まれているからだという。なるほど、軽いのはそういうわけか。奥が深い。陶芸にも手を出してみたくなってくる。

 卒業を1年延ばすことについての意志はある程度固まってきているけれど、具体的なことは決まっていない。

 髪をずいぶん切った。ついつい鏡像を追いかける。何でもできそうな気になってくる。

読みかけている本。
*ダニエル・C・デネット『心はどこにあるのか』
来週に控えた発表準備からの現実逃避で先日買い、冒頭を読み始めたところ。
*高橋澪子『心の科学史』
前半のプシュケー・プネウマの変遷のところで躓いている。この本は註が物凄く細かくて註の註の註くらいまであり、ひとつひとつ参照しながら読んでいるとどうにも進まない。アリストテレス等の思想をパラフレーズしながら説明しているのだけれどいかんせん文章が抽象的で固いので読みにくい。

読みたい本。
*隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』
最近話題になっている気がする。著者は科学史家。心理学は文系とも理系とも言い切れない学際的な分野なのでわたしは自分がどちらに属すとみなされるのかはっきりしない。
*森田真生『数学する身体』

11月が終わる。感傷に浸る間もなく師走が駆け足でやってくる。

2018年11月27日火曜日

祭りの後

 今なら読める、という気分のふくらみに衝き動かされて、ずっと放っていた幾冊かの本をめくっている。とりとめのない言葉から夢想の糸を引き出し織り上げていく行為には相応の構えが必要になる。
 4日間の祭りの熱がさめていく裏で別の憑き物も鎮まっていったようだった。見失っていた錨をふたたび滑らかに騒ぐ水の中に潜り込ませ、昏い底まで慎重に下ろす。小さな船が揺れ動くことがあっても、当分のあいだは一定の半径より外に出ることはないだろう。どんなに薄く広がり微かになったとしても、一度生まれた波紋はいつまでも消えずに漂っている。どんな出来事であっても起こらないよりは起こった方が幾分かましだ、と聞いて、そうかもしれないと思う。蒸留された救いと罰をほんのときどき思い出したように舐めてみる。
 ただ呼吸をしているだけで、裸でいばらの中を分け入っていくような事態に自然と陥っている自分を見つけることになる。自分の意志で踏み込んだのでしょう?わたしに拒否権は与えられない。感謝と無関心の真綿で棘のひとつひとつをくるんでやる。だんだん厚く硬くなる皮膚はいずれ小さな棘に血を流すこともなくなるのだろう。痛覚の鈍化とともに生の輪郭も薄れて、世界に溶け込んでいく。きたるべきときに正しく喜び正しく悲しむことができるように、ざらついた痕跡を書きつけておいてやる。
 毎日行くところがあるということはそれだけで随分と心の支えになるもので、ただそれだけの理由でわたしは大学を愛している。大学は大きな公園のようだ。多くの知らない顔と少しの知った顔が行き交い、ごくたまに一方的な、あるいは相互の干渉をもつ、ゆるく浅い生態系。
 あと3年半経てば四半世紀生きたことになってしまうのだと思い至り、その途方もなさに頭の奥がひやりとした。