うっすらひいている自覚のあった風邪が仕事を辞めた途端に悪化したので、2週間の休暇のうち前半はあまり遠出できそうにない。本を読み、ドラマや映画やアニメを観て過ごす。
ずっと積んでいた伴名練『なめらかな世界とその敵』収録作の6分の5を読んだ。世界観が必然的に高度な筆力を要請する表題作はたしかに絶望的に面白く、とても好みではあるけれど、私にとってはある枠内での傑作にとどまっている。すごく好みの二次創作小説を読んでいるときと似た感覚になる。設定がゆるぎなく魅力的である反動で、キャラクターは随意に置き換え可能であるように思われてしまう。
白水uブックスに似た細長い判型と幅の広い帯が目に留まって手に取った大崎清夏『目をあけてごらん、離陸するから』、その中の一篇「フラニー、準備を整えて」を立ち読みして半分泣きそうになってレジへ向かった。「『フラニーとズーイ』を読んで大人になった女の子」である主人公がもう一人の女の子と間接的に出会う物語で、私も彼女たちと活字越しに出会えたことを嬉しく思った。野崎訳と村上訳をどちらも持っていてどちらも読んだけれど、原文を知らないからか最後の訳出の違いに気づいたことはなかった。その他の収録作は詩と旅の随筆が多くて、本棚の須賀敦子と多和田葉子の横に並べるのが自然と似合った。旅する詩人の系譜。
だけど私が原文で好きなところはもうひとつあって。それはフラニーがレーンと一緒にレストランにいるとき何度も何度も煙草の火を付けたり灰を落としたりもみ消したりする描写なんだ。あの描写はきっと誰にも翻訳できない。フラニーは cigarette を lit して、cigarette ash を tip するの。そして、cigarette を put out するの。わかるかな、t, t, t, って音が何度も何度も重なる、ashtray にも t が入ってる、まるで自分に向かって永遠に舌打ちし続けるみたいにフラニーは煙草を吸うんだよ。(大崎清夏『目をあけてごらん、離陸するから』)
18歳のときに通っていた予備校の数学の講師が、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の話をしたことがあった。大学を出て就職してからは自分が何かをアウトプットするばかりで、インプットする暇がなかった。最近になって学生時代に読んだ本をひさしぶりに読み返したら、こんな話だったのかと思った。そんなようなことを言っていた。私はその講師の数学を教える能力については信頼していて、それ以外についてはむしろ嫌いだったのに、講義の合間の無駄話のことはよく覚えている。いつも墨汁とお香の中間のような香水をつけてモードな洋服を着て、恵比寿に住んでいることを自慢する、気取った嫌味な人だった。東大で体育会に入っていて大企業に就職して辞めて予備校で働いている。女の子の価値は女子大生の頃がピークだからね、などと悪びれず口にして、プリントアウトした秋元康の歌詞を教室で配る。そんな人でもサリンジャーは読むのだ、と思った。今思えば、そういう人だからサリンジャーを読むのかもしれなかった。
てっきりもう出ないものと思っていた『ギリシャSF傑作選 ノヴァ・ヘラス』が今月になって本当に出たので、買いに行った。『イスラエルSF傑作選 シオンズ・フィクション』を引っ張り出してきて帯を見ると、『ノヴァ・ヘラス』は2021年刊行予定と書かれていた。2年遅れてもちゃんと作ってくれてありがとう。こういう本がたくさん売れて、古本市場にもそこそこ流通してくれたらいいなと思う。文庫本に1500円も出せないお金のない学生でも、せいぜい800円くらいでこの美しい装丁の異国の物語を手に取れる機会があればいいと思う。『シオンズ・フィクション』の分厚さと値段に、少し迷ってどきどきしながら会計した大学生の自分を思い出す。
金曜日が最終出社日で、この部署には10ヶ月しかいなかったのに送別会まで開いてもらってしまった。前の部署で私が配属されてからすぐに辞めた先輩は影のようにすーっといなくなって、周りもその人はただの影だったみたいに何事もなく動いていたので、会社の中の別れってそういう機械じみたものなのかと思っていた。私も影のようにいなくなるのだろうと思っていた。部署を異動したら、ちゃんと人間らしい人たちが人間のままで働いていた。そこでは人間として働いて、人間として辞めることができた。身に余る幸せだったと思う。PCを返却する前のぎりぎりの時間で、異動する前の部署の上司や先輩へ挨拶を送った。みんなすぐに前向きな応援の言葉を返してくれて、最後に一往復のやりとりをすることができた。これからの私もその人たちとともにある。転職するけれど、背水の陣ではなくて、帰れる場所がひとつ増えたのだと思う。色々なことがあったけれど、いい会社だった。こうやって終わったことを終わったそばから美しい嘘にする。
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