2020年11月20日金曜日
2020年11月3日火曜日
夢が覚めたら
西加奈子の『白いしるし』を読みはじめてすぐ胃のあたりがざわざわしてきてこれはやばい本だと確信したし、それは当たっていた。こんな作品が存在していていいのだろうかと本気で思いながらインターバルを挟んで、読んで、読み終わる。誠実な小説だ、と思う。取るに足らないものだと思っていた、取るに足らないものであるふりをしなければいけないと思っていた、だからそうした。そうやって不本意に埋葬してきた私の一部がこの作品に救われたように思った。身勝手な投影だとはわかっていても、心の芯に直接触れてくる作品とひさしぶりに出会えて嬉しい。この小説の、芸術と人のとらえかたが好きだと思う。作品と人格は切り離せないけれど、人格を超えて届く作品もある。評価に混ざる私情を悪と断じるのではなく、「あなたはただ、何かを選んで、何かを選ばなかったことに、自身で責任を負わなければいけない。」他者がきちんと他者として描かれた小説が好きだと思う。予測のつかない動きをする、自分とは違う人格と思考と過去を備えている、必死に推し量ろうとしても最後まで理解することができない、実体に触れることすらできない向こう岸の存在として描いている小説が好きだと思う。正しく絶望することで正しく前を向くことができる。
夢が覚めたら壊れてしまえよ、そのまま夢でいるなら溢れてしまえよ、と歌う音楽をずっと聴いている。
道をただ道なりになぞる
気温が下がると食欲の解像度が下がる。自分が何を食べたいのかわからないし、かといって適当なものを選んで食べても何か選択を間違ったような気持ちになる。ディストピア飯の日替わりプレートがランチとディナーに自動配給されるのであったらいいなあ。と思う。繊細な味覚の悦びから疎外されているのでカロリーメイトが主食でもそれなりにハッピーに過ごせる。夏の終わりには取り憑かれたように料理をしていたけれど案の定すぐに立ち消えた。食の優先順位が著しく低い。月末あまりにもお金がなくて一週間冷凍のスープ餃子と春雨で過ごしたけれど案外耐えられてしまって、まだ続けようとしている。削れるだけ食費を削りたい。
下宿暮らしともなれば契約更新ごとに引っ越しを繰り返す人も少なくないけれど、私は5年にわたって同じ部屋に住み続けている。建物、部屋そのものには色々と不満があるけれど荷物が増えて億劫だったのと、結局立地が最強なので引っ越す理由が見当たらなかった。駅と大学が遠いのはネックだけれど徒歩3分圏にコンビニとスーパーとドラッグストアがあって、深夜にだって買い物に行ける。もう少し足を伸ばせばコンパクトながら品揃えは悪くない本屋があるし、家電量販店も服屋も画材屋もある。生活拠点としては恵まれすぎている。それで日が落ちたころに散歩に出るとついつい近くの本屋へ行って本を買う、ということを繰り返していたらクレカの支払いがやばいことになって流石に反省し、新しい本はなるべく1割引になる大学生協で、在庫がなければ注文して買うことにした。あと図書館を使おう。とりあえず前から気になっていた2冊を予約する。計画的な消費はつまらないね。計画的な浪費ならしてみたいかもしれない。最近寝起きに疲れていることが多いので、いいマットレスの価格帯が知りたくて調べていた。有名なメーカーのエントリーモデル(っていうのかなマットレスでも)が大体20万前後で、それで以後何年間もの安らかな眠りが手に入るのなら減価償却で考えれば安いものでは?と思ってしまったのでお金を得られるようになったら将来的に導入を検討したい。マットレスと椅子は大事。
2020年11月2日月曜日
日々を諦めない
ちょっと現実がつらいのでひたすら趣味の話をしたい。People In The Boxを好きな知り合いと会う予定がたったのでそれを心の支えに日々をこなす。前に会ったときこの人は『空気人形』が大好きだと言っていて、私はまだ観ていなかったので話題はすぐに流れてしまったのだけれど、今度はいろいろ話したいことがある。いくつかの伏線が繋がった気がしている。波多野さんの好きな作家はピンチョン、ボルヘス、エリクソンであるという真偽の定かでない数年前の情報を目にしたので暇ができたら読んでゆきたい。去年の文芸誌での対談を読みなおすと、ピンチョンの『V.』とリチャード・パワーズが挙げられていた。ずっと彼らの曲には外国の街並みの風景を重ねて聴いていたので海外文学好きなのはわかるけれど、現代アメリカ文学というところはすこし意外に思う。色彩の統一されたヨーロッパの都市のイメージを抱いていた。ああでもたしかに伝統よりは前衛志向だろうか。国内でいうと多和田葉子が近いと思っている。ひさしぶりに有村竜太朗のソロワークを聴き返す。ときおり放り込まれる殺傷力の高い言葉が、手なずけられた虚構のなかに不意に現れる底の見えない裂け目のようだと思う。匿名的な共感というよりは、ある人生に紐付いた固有の想念への共振を否応なく迫ってくるような声だと思う。しかしプラスティックトゥリーのひねくれぐあいからするとソロのバンドは比較的素直な演奏をするね。フロントマンがソロをやり出したことで逆に元のバンドの特徴が見えてきたというか、今まで魅せられてきたものはこんな変な形をしていたのかと気づかされたところがある。いつのまにか歪さを求めるように慣らされていた。ところで近頃目に見えて会話が下手になっていてこまる。うまいことチューニングを合わせていきたい。西加奈子を読む。めっきり冷え込んできて、素足で歩くとよく冷えたフローリングに吸い込まれそうになる。床暖房がほしい。ふわふわのスヌードをかぶって寝る。