2018年11月4日日曜日

どうやらそういうことになっているらしいのだ

まっ赤なハイヒールがほしい。まっ赤なハイヒールを買うべきだ。という啓示が降りてきたのでまっ赤なハイヒールを探す。ハイヒールは元来苦手なのだ。腰が弱くて、4㎝のかかとで2時間も歩けば気がくじける。だけど啓示が下されたので従うよりほかない。6㎝か7㎝の気高い見かけをしていて、綺麗めにもぼろぼろのジーンズにも合わせられるやつ。いつか、いつかね。

自己愛を飼い慣らしている人が好きなのだと思う。愛すべきナルシシスト。自己陶酔の中をくるくると旋回しながら踊り続けた末に二本の脚を絡ませて倒れる。息を弾ませて。自分の吐いた息で充満した密室の中で深呼吸をする。はるか遠くを見ているようで、実は自分の内部の暗がりだけに注がれているまなざし。
この選好は私自身の自己愛の拡張なのか、自己愛者になりきれない私が他者に対して抱くあこがれなのか、よくわからない。摩擦が起きない程度の距離を保って見ているのが双方にとって幸福なのかもしれない。そうやって他人を観察対象の地位に置いておくことで私は心を平穏に保っていることができる。鏡のように。静かな湖面のように。それはとてもとても寂しいこと。心をみだされることに不慣れだから、そのたびごとにジェットコースターが山を下るときくらいの衝撃を被る。心臓が止まりそうになる。死に近づく。だから、ヤドリギのような執着をひきはがす。寝ても覚めても鉄の味。心臓の裏に絡んで締めあげる蔦。そのうちに薄くやわらかい膜が張る。触れると鈍くて甘いいたみ。傷口を大切にホルマリンに漬けて標本化する。よかった。難破せずに済んだ。なまの花束を放っておくと案外きれいにドライフラワーになる。海辺で火をつけたらよく燃えるだろう。

何も考えていないのだ、何も考えていないことを直視しないためにキーを打っている。言葉という玩具を持っていられることに感謝する。


東京でしかやらない芝居が観たい。ダンスが観たい。ライブやコンサートにももっと気軽に足を運びたい。ということは東京で就職するべきなのだろうか。やはり。
進路について迷いに迷っていてそろそろ回線がショートする。以前はとりあえず修士に進もうかと思っていたけど動機がとりあえずってどうなの。と自分で突っ込みを入れてしまった。博士に進むつもりは、ない。多分。いったん社会に出てみてもう一度学問をやりたくなったら院に戻るのがいいかもしれない。そう言っていた知人もいる。どこにも正解はない。正解がないなかで選択をする。
学部の先輩たちがシュウショクカツドウの経験談をおはなししてくれますよ、という会に行ってきた。熱量はさまざまだった。個人の体験はどこまでいっても一般化不可能なものだから、参考になったかといわれればあまりならなかった。シュウショクカツドウとは世俗化された社会における通過儀礼のようなものなのか。一定の年齢に達した者は労働市場の名のもとで雑多な評価軸に身をさらす。どうやらそういうことになっているらしいのだ。

心理学のどこが好きなのか、なぜ選んだのかと問われれば、人間の内面に興味があったから、と答えるのだろうか。違う。興味があったのは自分の内面だけだ。自分の心を御していくやりかたがわからずにくるしんでいただけだ。だけどわたしの専攻は臨床ではない。実験心理学をやる理由は、心を扱いながらも科学的な手法をとることで心の曖昧な領域に触れずに済むからか。それは当たっている。心の曖昧な領域は時として凶器になる。わたしは何よりも我が身が可愛い。最低限より多くは傷つきたくない。
心理学と社会学の違いは、人間の行動の原因を個人の内部に求めるか社会構造に求めるかの違いであるという。わたしはもう社会なんてどうでもよくなりかけている。部屋にテレビはない。新聞も取っていない。集団としての人間の行動レベルでの傾向にもとくに興味はない。
人の思考の流れとか、目に見えないものについて考えたい。だから認知心理学になる。言葉が好きだ。となると言語心理学か認知言語学か。なんだかもうよくわからなくなっている。

『幸福はなぜ哲学の問題になるのか』を読んだ。『分析哲学講義』と『功利主義入門』を昨日買った。その前の日はサガンの『悲しみよこんにちは』を買った。その前には谷崎の『蓼食う虫』と穂村弘のエッセイを買った。さらに前には岩倉文也の詩集を買った。売野機子の漫画をまとめて数冊買った。『手紙読本』と『朗読者』を買った。三島由紀夫とメルロ=ポンティとシモーヌ・ヴェイユを買った。節操がない。ほんとうにどうかしている。どうかしていないと生きていられない。どうやらそういうことになっているらしいのだ。

2018年11月2日金曜日

この一ヶ月で呆れるくらい本を買った。軽く見積もって10冊は下らない。
半分強はすぐに読んで、半分弱はまだ積んである。意識を自分の内面から逸らす手段として読書は最適だ。哲学の入門書、軽いエッセイ、日本近代文学、準古典的な翻訳小説、漫画、大体そんなところか。ようするに、現実逃避がしたいのだ。

最近話した人が、自分の過去を現在につながるものとして思い出したことがない、と言っていた。断片的に思い出せることも靄がかかったようではっきりしないらしい。
驚いた。私はまったく逆だった。その時感じていたことを忘れてしまうのが怖くて、肌理をなぞるように隅々まで思い出そうとする。その過程で、ひとつひとつを美しいエピソードの形に成型して磨き上げていく。傷ついた経験も飴細工の傷口に変わる。そのような想起に堪えないほど嫌な記憶は、おそらくそれ自体としてなかったことにしてしまっている。厳選された記憶だけを、昔買ったレコードを繰り返し聴くように、箱にしまった光る石を時々取り出して眺めるように、曇った鏡を磨いて自分の顔の細部を確認するように、いとおしむ。過去をむやみに大事にしようとするのは、昔から変わらない私の性質のひとつ。
別の人は、数か月前までの記憶なら想起に堪えうるけれど、昔になればなるほど当時の自分が許せなくなる、と言っていた。これも私は真逆だ。昔のことになればなるほど、恥や悔恨の念は薄れていって、角の取れた甘やかな物語になる。喉元過ぎれば熱さを忘れる、というやつで、なるほど私の過去からの学習能力は相当低い。

過去が遠ざかるほど自分も他人も許せるようになるのは、徐々に細部を忘れていっているからだという気がする。例えば文章となると勝手が違う。自分の書いた文章を読み返すたびに修正を加えたくて仕方がなくなるのは、文章は書いたときのまま残り続けているからだ。読み返すたびに書いたときの自分の状態が蘇ってくるからだ。まさにそのために、つまり書いたときの自分の状態を再体験可能な形に固定しておくことを目的として、私はブログやらTwitterやら日記めいたものを書くのだが、まさにそのせいで、つまり書いたときの自分の状態が固定された結果として過去を許すことができなくなるからこそ、日記が続かないのだ。難しい。

繰り返し聴いたレコードがいつか擦り切れてしまうことが怖い。しまっておいた綺麗な石が磨きすぎてなくなってしまうことが怖い。近頃の私は、過ぎ去っていくそばから記憶と感情を結晶化させて標本にすることに異常な力を注いでいた。標本はまだ生々しさが残っていて不完全だけれど、時を経て、半年か一年、二年も過ぎたらきっと完璧になる。時間が止まる。完成態としての死に近づく。

ひとりでいると、心が凪いでくる。これが自分だった、という気になる。
でも、それは違うということを私は知っている。
誰かといるときの自分とひとりでいるときの自分に序列をつけることはできない。

2017年3月22日水曜日

生きることは日々を生活することだ、という主張に、薄々説得されかけながらも認めたくない自分がいる。何かを成し遂げ、遂げられずとも痕跡を残すことが人生だと、小さい頃からかたくなに信じてきたからだ。
成長の中で、ある時期に至るまでは、人の可能性というものは広がっていくものだと思う。おそらく中学生くらいまでは。高校生から先は、広がった選択肢を徐々に絞り込んでいく時期だ。と、一般的には考えられている。
私はそれに気がつかないふりをしていた。いつまでも「いつか」を夢見ていられると漠然と思っていた。
だけどもう、目を逸らせなくなってきている。このところ「生活を主体的に送る」ためのライフハックに目が行きがちなのは多分そのせいだ。
丁寧に生活をする。家具や衣類の手入れをする。ラムレーズンなんかを自分で漬けてみる。DIYで台所の壁にタイルを貼る。洋服を自分で縫う。
どれも素敵だ。他人がやっているのを見ると尚更素敵に見える。だけど、「上質な生活」の象徴のようなそれらの手のかかる作業を丁寧に丁寧に遂行するためには、時間とお金の余裕が要る。一方で、何かしらの分野で爪痕を残すには、仕事や限られた趣味だけに時間とお金をつぎ込むことが必要だ。
この二つは両立不可能だ。
というより、「丁寧な生活」のあれやこれやは総合して一つの趣味と言えるのだろう。他に打ち込むもののない人たちが最終的にたどりつく趣味。
それでも、いくら丁寧に上質な日々の暮らしを維持したところで、死んでしまったらなにも残らない。残さず食べられるために手間をかけて作られる料理。創造する端から消費していくゲーム。そんなのって虚しくないか。でもそれが人生だという人のなんと多いことか。
ここにも選択の時間制限が迫ってきている。まず生活を整えなければ、と言っていると他の事をする余裕がなくなる。なにかひとつに打ち込めば、生活がこわれる。なにごともほどほどに、というのがとてもむずかしい。生活を整えろ、と言われても、最低限生きていられればいいのよ、と言われても、それぞれの極端を攻めなければならないような気がしてしまう。

気がつけば大学も2年めになる。怖い。恐ろしい。中学の卒業式の帰りに浮き足立って桜の写真を撮りながら歩いたのは昨日の事のようなのに。このブログを最初につくったのも確かその日だったか。記事はだいぶ消してしまったけれど。人生、って、何なんだよ。どこかで立ち止まるための猶予を下さい。

2017年3月13日月曜日

働くことと自尊心

春休みだ。暇だ。
というわけでアルバイトをしていた。東京に帰省した直後から、1日限りの登録制派遣バイトを1週間ばかりやった。荷物の梱包作業、ギフト商品や細々したものを作る内職、メール便仕分け、駅伝の会場設営。
就業前に私が抱いていた「大学生の短期バイト」のイメージに近かったのは最後の会場設営だけで、その他の職場は学生は少なく本業の日雇い労働者の人がほとんどだった。
結論から言うと「辛かった」のだけれど、なんだか言葉にしづらい気持ちが残っている。

会場設営のバイトで、(おそらく日雇いで)28日間休みなしで働き続けているという男性がいた。家に帰るのも面倒なので、勤め先の休憩室に泊まっているという。他の人たちと同じくその人もくたびれた雰囲気を醸し出していたけれど、3.11や熊本の震災の時には、率先してボランティアに行ったのだという。飛行機代も、自腹を切って。
私はそれを聞いて、純粋にすごいなと思った。安定した職に就いている人なら、「仕事があるから」を大義名分として、見て見ぬ振りをする人が多いんじゃないの。少なくとも私ならそうしてしまうだろう。日雇いだからこそできることをしている人もいるんだな、と光を見た気持ちになった。
後日、家でその事を話すと、「そういう人は社会とのつながりを得たいからボランティアにいくのよ」と言われた。確かにそうかもしれない、とも思った。でも、結果としてその人は被災地の役に立ったわけだし、いいんじゃないか。

工場で荷物の梱包作業をしていたとき、ラインの隣にいたおばあさんはとても親切な人で、私の名前を聞くと「きれいな名前ね」と言ってくれた。それから、折り畳み式コンテナを畳むのにいちいち拳で側面をガンガン叩いていた私に、「そんなやり方じゃ手が痛くなるだろう」と言って、簡単な畳み方を教えてくれたおじさん。彼の顔からは疲弊が滲み出ていて、皺の刻まれた顔には笑みの切れ端すら浮かぶことは無かったけれど、非人間的な工場ではそんな一言でも嬉しかった。こんな、機械の補完としてのみ人間が存在しているような空間で個人的にかけられる一言は、無人の砂漠で初めて人間に出会えたことのように感動的だった。

だけど、あの現場で毎日働いてまで生きることにしがみつくくらいなら、私は死んだ方がマシだとも思ってしまった。だって、1週間弱働いただけの私でも、最終日には自分が人間扱いされないことに少しずつ慣れ始めてしまっていたのだ。恐ろしいことに。これが1ヶ月も続いたら、私の自尊心、自分を大切にする気持ちは簡単に壊れてしまうだろう。ああいう働き方をすることは、あくまで私にとっては、自分自身を貶めることになると感じた。

もうひとつ、ゆりかもめに乗ってお台場の仕事現場に向かいながら考えたこと。
ゆりかもめからはキラキラ光を反射させる海が見えた。前衛的な形の綺麗なビルも見えた。これから携わる業務の過酷さを思って陰鬱な気分だった私にとって、その景色は自分を支える杖になった。そして、ゆりかもめに乗って毎日通勤する人の中には、その時の私と同じ気持ちを持っている人もいるんじゃないか、と思った。

私は今まで、就職活動で大企業を志望する人がなぜこれほど多いのか分からなかった。みんな、そんなに体面にこだわるプライドの高い人ばかりなのだろうか、と不思議に思っていた。でも、連日不本意な(?)業務をしてみて考えが変わった。
仕事が忙しかったり体力的にキツかったりして耐えられないほどつらい状況のとき、「私は都心のピカピカのビルに毎日通勤している」とか「私は高い賃金を得て社会的にも高い位置にいる」ということを杖にして辛うじて自分を支えている人も沢山いるんだろうなと。

仕事をする以上、圧倒的に楽な仕事というのは多分無いだろう。ネームバリューのある高待遇な職場とネームバリューがなく待遇も悪い職場のどちらかで同じくらいつらい業務をしなくてはならないとしたら、誰でも前者を選ぶだろう。
そもそも平日すべての朝から晩まで拘束されることだけでも相当なストレスだと思う。その対価として、それなりの対外的地位や高い待遇がほしくなるのは人間として当然なのかもしれない、と感じた。人間として当然というか、自分を大切に出来ている人、自分の価値を高く見積もっている人ならそうするだろう、と思った。
日雇い派遣のアルバイトは、“そこそこの自尊心を持った人”なら耐えられないだろうと思う。そこに馴染んで生き残ることは自尊心の面からすると決して幸せな状況ではない。 勤め先の規模や名前を気にするのは、プライドや世間体の問題だけではなくて、仕事をしながら自分の心を保って生き残るための生きる術でもありうるのだと理解した。

連勤が終わって実家の自室に敷かれたふわふわのラグに頬をつけてうつ伏せに寝転ぶと、ふっと心が解けた。私は、生きてきたんじゃなくて、育てられて、生かされてきたんだなあ、と静かに思った。今まで気がつかなかったけれど、私は箱入り娘だったんだなあ。ばかみたいだけど心からそう思った。
そして、安定と挑戦のどちらを求めるべきかなんていうのは、二択の問題ではないのだ。どちらも求めていい、保身は決してわるいことではない。自分が自分を大切にできる環境を自分で選ぶことは必要だ。

特に締めの言葉もないけれど、書きたいことは書いたのでここで終わり。

2017年2月25日土曜日

大学のこと

大学に入ってもうすぐ一年が経つ。一年前の今日は入試を受けていた。多少おおげさに書くならば別段緊張もしていなかった。二日間の試験を終えてホテルへ帰るタクシーの中で初めて「受かるかも」という感情が湧いてきて、「受かっちゃったらどうしよう」なんてことを喋って呆れられた。結果、受かってしまった。

こんなことを言うと反感を買いそうだけれど、私にとってこの受験は力試しみたいなもので、目的は入学試験であって入った先の大学生活ではなかった。合格すれば私の大学受験式勉強能力にはそれなりのお墨付きが与えられることになり、不合格ならば残念賞、ただそれだけのことだった。いざ合格してしまうと、やっぱり私には地元の私大が似合っているのでは、などと考えて悩んだりした。

もし現役でどこも受からなかったら美大受験に方向転換しようなんて甘いことを考えていた。自分ひとりで美術への未練を貫く勇気がなかったから不合格と浪人を味方につけようと思っていた。こっちもこっちで殺されそうな甘い考えだ。だからセンターも二次も予想外に上手くいって合格を手にしてしまったことが少し、いや、かなり残念だった。親戚や友人が褒めてくれても全然嬉しくなかったし、全部落ちればよかったのになんて馬鹿馬鹿しいことを考えて泣いたりした。

単純に「自分の能力に対する他者からの保証」が欲しかっただけなのだ。昔から「やればできる子」と褒めているのか貶しているのかわからない言葉を言われ続けてきたけれど、中学高校では部活に明け暮れひどい成績を残してきたから、きちんと努力した受験レースで第三者から評価されることで安心したかった。合格発表後の私が取りうるもう一つの選択肢は「合格を蹴って浪人する」だったのかもしれない。けれどそんなことをしようとしても周りの理解は得られないことはわかっていたし、気力もなかったので、私は口を噤んでこの土地に来た。

結果、わりと後悔している。毎日はそれなりに楽しかったり辛かったりしてちゃんと生きている感触はあるし、絶望的だった家事能力が一人暮らしのおかげで半絶望的レベルまでは上がったけれど、後悔している。心が弱ったとき、「なんで私はこんな所にいるんだろう」という考えが襲ってくる。一般教養がつまらないとか単位のための勉強の張合いのなさとかは、もし自分でやりたいことのために決断した結果なら、そのことを支えに耐えられるのだと思う。自分の決断というものをこの歳になるまでしてこなかった自分が情けない。

自分で自分の将来を選択して、自分で選んだ道だということを支えにして生きることができている世の中の人、偉すぎませんか。私が弱すぎるのか。
さてこれからどうしていこうかな。