大学に入ってもうすぐ一年が経つ。一年前の今日は入試を受けていた。多少おおげさに書くならば別段緊張もしていなかった。二日間の試験を終えてホテルへ帰るタクシーの中で初めて「受かるかも」という感情が湧いてきて、「受かっちゃったらどうしよう」なんてことを喋って呆れられた。結果、受かってしまった。
こんなことを言うと反感を買いそうだけれど、私にとってこの受験は力試しみたいなもので、目的は入学試験であって入った先の大学生活ではなかった。合格すれば私の大学受験式勉強能力にはそれなりのお墨付きが与えられることになり、不合格ならば残念賞、ただそれだけのことだった。いざ合格してしまうと、やっぱり私には地元の私大が似合っているのでは、などと考えて悩んだりした。
もし現役でどこも受からなかったら美大受験に方向転換しようなんて甘いことを考えていた。自分ひとりで美術への未練を貫く勇気がなかったから不合格と浪人を味方につけようと思っていた。こっちもこっちで殺されそうな甘い考えだ。だからセンターも二次も予想外に上手くいって合格を手にしてしまったことが少し、いや、かなり残念だった。親戚や友人が褒めてくれても全然嬉しくなかったし、全部落ちればよかったのになんて馬鹿馬鹿しいことを考えて泣いたりした。
単純に「自分の能力に対する他者からの保証」が欲しかっただけなのだ。昔から「やればできる子」と褒めているのか貶しているのかわからない言葉を言われ続けてきたけれど、中学高校では部活に明け暮れひどい成績を残してきたから、きちんと努力した受験レースで第三者から評価されることで安心したかった。合格発表後の私が取りうるもう一つの選択肢は「合格を蹴って浪人する」だったのかもしれない。けれどそんなことをしようとしても周りの理解は得られないことはわかっていたし、気力もなかったので、私は口を噤んでこの土地に来た。
結果、わりと後悔している。毎日はそれなりに楽しかったり辛かったりしてちゃんと生きている感触はあるし、絶望的だった家事能力が一人暮らしのおかげで半絶望的レベルまでは上がったけれど、後悔している。心が弱ったとき、「なんで私はこんな所にいるんだろう」という考えが襲ってくる。一般教養がつまらないとか単位のための勉強の張合いのなさとかは、もし自分でやりたいことのために決断した結果なら、そのことを支えに耐えられるのだと思う。自分の決断というものをこの歳になるまでしてこなかった自分が情けない。
自分で自分の将来を選択して、自分で選んだ道だということを支えにして生きることができている世の中の人、偉すぎませんか。私が弱すぎるのか。
さてこれからどうしていこうかな。
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