2018年11月27日火曜日

祭りの後

 今なら読める、という気分のふくらみに衝き動かされて、ずっと放っていた幾冊かの本をめくっている。とりとめのない言葉から夢想の糸を引き出し織り上げていく行為には相応の構えが必要になる。
 4日間の祭りの熱がさめていく裏で別の憑き物も鎮まっていったようだった。見失っていた錨をふたたび滑らかに騒ぐ水の中に潜り込ませ、昏い底まで慎重に下ろす。小さな船が揺れ動くことがあっても、当分のあいだは一定の半径より外に出ることはないだろう。どんなに薄く広がり微かになったとしても、一度生まれた波紋はいつまでも消えずに漂っている。どんな出来事であっても起こらないよりは起こった方が幾分かましだ、と聞いて、そうかもしれないと思う。蒸留された救いと罰をほんのときどき思い出したように舐めてみる。
 ただ呼吸をしているだけで、裸でいばらの中を分け入っていくような事態に自然と陥っている自分を見つけることになる。自分の意志で踏み込んだのでしょう?わたしに拒否権は与えられない。感謝と無関心の真綿で棘のひとつひとつをくるんでやる。だんだん厚く硬くなる皮膚はいずれ小さな棘に血を流すこともなくなるのだろう。痛覚の鈍化とともに生の輪郭も薄れて、世界に溶け込んでいく。きたるべきときに正しく喜び正しく悲しむことができるように、ざらついた痕跡を書きつけておいてやる。
 毎日行くところがあるということはそれだけで随分と心の支えになるもので、ただそれだけの理由でわたしは大学を愛している。大学は大きな公園のようだ。多くの知らない顔と少しの知った顔が行き交い、ごくたまに一方的な、あるいは相互の干渉をもつ、ゆるく浅い生態系。
 あと3年半経てば四半世紀生きたことになってしまうのだと思い至り、その途方もなさに頭の奥がひやりとした。

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