わたしはあまり後悔というものをしないたちで、といっても昔はずいぶん執念深く後悔していたけれど最近はかなり前向きな性格になってきたので、残念なことがあってもすぐ切り替えて次に行ける。オッケー、終了。次行こう。魔法の言葉だ。だけどそうしたら今度は自分にとって何が本当に大切なものなのかが分からなくなってきている。何でもさくさく諦めていけるような気がしてしまう。もっと力一杯後悔したほうがいいのだろうか。しかしわたしは過去を愛してはいるけれども「後悔」とか「未練」とかの粘着質なフレーバーはすきではないのだ。過去を泥沼にしたくないのだ。からっと乾燥した風通しのいい納戸みたいであってほしいのだ。
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自己韜晦ということばを知って、それだ!と思った。本心や才能を隠すこと。姿をくらますこと。フロイトはそういう人間だったらしい。わたしもそういう人を知っている。ある意味でわたし自身もそうかもしれない。いや、そんなことはない。いつでも自分のことをわかってもらいたがっている。そしてそれは幻想の中でしか実現しえないことを知っている。ポーズとしての自己韜晦。自己の醜さを覆い隠すための。一線を引くことで傷つきを免れる。ファンシーな色をした臆病な蠍たち。
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チケットは無事取り直した。12/16。たのしみだ。
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灰色の男たちにどやされそうなくらい時間を浪費している。
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好きな文章を読んでいるといつのまにか書き手の思考を先取りしていることがある。どこまでが自分由来でどこからが他人由来の言葉なのかわからなくなる。思考の境界が溶け合っていく感覚は気持ちがよくて不安になる。線を引かなければ。
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パスタをゆでる。ペンネをゆでる。湯の中で踊るたくさんの中空の短い管。昇ってくる泡のひとつひとつに自分の顔がうつっている。いつも鍋に塩を入れすぎる。わたしはわたしの命をつないでゆくための餌を自力で用意することができる。もちろん文明の利器の力を借りて。安堵する。些細なこと。
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クレイジークレイジー、つまんないこと言うくらいなら口が永久に開かないようにしてしまおうね。
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